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1994 FIFAワールドカップ・アジア予選

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1994 FIFAワールドカップ・アジア予選は、アジア地区の1994 FIFAワールドカップ・予選である。アジアサッカー連盟(AFC)から30チーム(後に2チームが棄権)が参加した。出場枠は2。

1次予選
30チームを5チームずつ6グループに分け、各グループで2順の総当たり戦(ダブルセントラル方式)を実施。各グループ1位のチームが最終予選に進出する。
最終予選
進出した6チームが、カタールドーハでの集中開催方式で1順の総当たり戦を行う。上位2チームが本大会出場権を得る。

1次予選

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グループA

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開催地:1順目はヨルダンイルビド、2順目は中国成都

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
イラクの旗 イラク 13 8 6 1 1 28 4 24
中華人民共和国の旗 中国 12 8 6 0 2 18 4 14
イエメンの旗 イエメン 8 8 3 2 3 12 13 -1
ヨルダンの旗 ヨルダン 7 8 2 3 3 12 15 -3
パキスタンの旗 パキスタン 0 8 0 0 8 2 36 -34

グループB

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開催地:1順目はイランテヘラン、2順目はシリアダマスカス

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
イランの旗 イラン 9 6 3 3 0 15 2 13
シリアの旗 シリア 9 6 3 3 0 14 4 10
オマーンの旗 オマーン 6 6 2 2 2 10 5 5
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ 0 6 0 0 6 3 31 -28

ミャンマーの旗 ミャンマーは棄権。

グループC

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開催地:1順目はカタールドーハ、2順目はシンガポール

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 15 8 7 1 0 19 6 13
カタールの旗 カタール 11 8 5 1 2 22 8 14
シンガポールの旗 シンガポール 10 8 5 0 3 12 12 0
インドネシアの旗 インドネシア 2 8 1 0 7 6 19 -13
ベトナムの旗 ベトナム 2 8 1 0 7 4 18 -14

グループD

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開催地:1順目はレバノンベイルート、2順目は大韓民国ソウル

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
大韓民国の旗 韓国 15 8 7 1 0 23 1 22
バーレーンの旗 バーレーン 9 8 3 3 2 9 6 3
レバノンの旗 レバノン 8 8 2 4 2 8 9 -1
香港の旗 香港 5 8 2 1 5 9 19 -10
インドの旗 インド 3 8 1 1 6 8 22 -14

グループE

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開催地:1順目はマレーシアクアラルンプール、2順目はサウジアラビアリヤド

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
サウジアラビアの旗 サウジアラビア 10 6 4 2 0 20 1 19
クウェートの旗 クウェート 8 6 3 2 1 21 4 17
マレーシアの旗 マレーシア 6 6 2 2 2 16 7 9
ポルトガルの旗 マカオ 0 6 0 0 6 1 46 -45

ネパールの旗 ネパールは棄権。

グループF

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開催地:1順目は日本東京、2順目はアラブ首長国連邦ドバイ

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
日本の旗 日本 15 8 7 1 0 28 2 26
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 13 8 6 1 1 19 4 15
タイ王国の旗 タイ 8 8 4 0 4 13 7 6
バングラデシュの旗 バングラデシュ 4 8 2 0 6 7 28 -21
スリランカの旗 スリランカ 0 8 0 0 8 0 26 -26

最終予選

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カタールドーハでの集中開催方式で実施

勝点 試合数 引分 得点 失点 得失点差
サウジアラビアの旗 サウジアラビア 7 5 2 3 0 8 6 2
大韓民国の旗 韓国 6 5 2 2 1 9 4 5
日本の旗 日本 6 5 2 2 1 7 4 3
イラクの旗 イラク 5 5 1 3 1 9 9 0
イランの旗 イラン 4 5 2 0 3 8 11 -3
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 2 5 1 0 4 5 12 -7

その他

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  • この最終予選で日本は、最終戦のイラク戦でロスタイムに同点に追いつかれたために、ワールドカップ初出場を逃している。(ドーハの悲劇を参照)
  • 最終予選に進出した6か国のうち、イラク・イランの両国は当時、開催国であるアメリカ合衆国経済制裁下にあったため、それらの国が本大会に出場した際の懸念を示す声もあった [1]
  • 最終予選の審判団は全て欧州サッカー連盟出身者で構成された[1]。この理由として、大会のゼネラル・コーディネーターを務めた国際サッカー連盟のハビエル・オテーロは「アジアの国同士の対戦は、どの国の審判がやっても微妙な問題がからむので難しい。たとえば、日本対イラクの試合をクウェートの審判が担当するのは、中立国とはいえ、大きな問題がある。ヨーロッパ人ならばそうしたプレッシャーはより少なくてすむはず」と説明した[1]
  • 1989年に中華民国サッカー協会中華民国(台湾)側)が英語名を「チャイニーズ・タイペイ・フットボール・アソシエーション」(中華台北サッカー協会)として1974年以来のAFC復帰を果たし、中華人民共和国の中国サッカー協会と同時加盟が実現した。これにより、本大会予選で史上初めて中国とチャイニーズタイペイ(台湾)の両チームが共に予選に参加した。

出典

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  1. ^ a b No.26 レフェリーは大陸を超えて”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1993年10月26日). 2013年1月4日閲覧。